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八光の歴史

420余年の数々の歴史の中から誕生した会社です

当グループの歴史は1596年(慶長元年)創業の酒造業にはじまります。
その後、1893年(明治26年)酒造業を営んでいた坂井家十五代目が戸倉温泉を開湯。
1903年(明治36年)には千曲川右岸に「笹屋ホテル」を開業しました。

坂井量之助と孫の修一

湧き出ずる命の源泉
源泉井を千曲川の氾濫から守るため、赤レンガ塀で四方を囲んだポンプ台の写真がある。厚く高く積まれたレンガ塀の上に、赤ん坊を抱いた男が立っている。かつてここに戸倉温泉開祖坂井量之助がその孫修一を抱いて立っていた。(書籍:化翁開明より)

  1. 1596年「酒造業」創業

    「酒造業」創業

    1596年(慶長元年)
    北国街道戸倉宿で酒造業を創業しました。
    ※写真は昭和32年頃の坂井銘醸店舗です。

  2. 1903年「笹屋ホテル」開業

    「笹屋ホテル」開業

    1903年(明治36年)
    明治35年7月27日、戸倉村宗安寺において戸倉温泉株式会社の第一回定時株主総会が開催されました。
    千曲川の大氾濫によって壊滅した第一次戸倉温泉の痛手を乗り越え、明治36年9月19日「清涼館笹屋ホテル」がオープン、第二次戸倉温泉開湯が実現しました。

  3. 1944年「八紘電機製作所」設立

    「八紘電機製作所」設立

    1944年(昭和19年)
    昭和19年6月、富士電機製造株式会社松本工場の協力会社として株式会社八紘電機製作所を立ち上げました。
    (この時、坂井修一は42歳、旅館業を妻のみつにまかせて一念発起。熟年からの再スタートでした。
    戦争末期、熱い信念と情熱を持って力強くその第一歩を踏み出していきます。
    戦争末期とあって、総勢50余名の社員ほとんどが女性で、その大半は地元の芸者さんたちだったと言われます。)

  4. 1946年「株式会社八光活字鋳造機製作所」設立

    「株式会社八光活字鋳造機製作所」設立 活字鋳造機の製造に着手

    1946年(昭和21年)
    昭和23年、一本仕上げ方式の活字鋳造機が完成しました。
    一号機を信濃毎日新聞社に納入したところ大きな反響を呼び、八光の活字鋳造機の評判は一気に高まっていきます。
    全国の新聞社や活版業者から注文が殺到し、八光の主力商品としての地位を確立しました。

  5. 医療器事業部がペニシリン用注射針の研究開発を開始

    医療器事業部がペニシリン用注射針の研究開発を開始

    1947年(昭和22年)
    昭和23年、厚生省指定工場となり注射針の製造を開始しました。家内企業的零細企業が多かった業界に、機械設備を導入。新生産体制を組み注目を浴びました。
    昭和28年には一般針(注射針)の品目承認取得。同28年、注射針の海外輸出を開始しました。
    医療器事業部は現在の株式会社八光が受け継いでいます。

  6. 1973年「株式会社八光興発」設立

    「株式会社八光興発」設立

    1973年(昭和48年)
    グループ各社の統括部門として八光興発を設立しました。

  7. 1995年 インターネット事業に着手

    株式会社八光エンジニアリングにてインターネット事業に参入

    1995年(平成7年)
    Windows95の発売や料金の低廉化によってインターネット普及へはずみが付いた1995年9月、中国・北京市の「中国核情報中心」のUNIXマシンと八光のパソコンを電話回線でつなぎ、日本語と中国語のテキストデータの送受信を行いました。
    また同年、HTMLを用いて地元企業のホームページも作り始めました。
    インターネット事業は現在の株式会社八光興発アズシエル事業部が受け継いでいます。

  8. 現在、そして未来へ

    2019年(令和元年)、お陰様で製造業として創立75周年を迎えることができました。
    今後も各社さらなる発展を目指して取り組んでまいります。

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