大きな時代の変化に合わせて
開国後、日本の近代化が進む中で信越本線が開通。これにより人の流れは街道交通から鉄道交通へと変化していきます。
坂井量之助は、街道の原動力に代わる新たな資源を求めて千曲川河原に湧出する温泉源を活用し、戸倉温泉会社を創業。温泉開発に情熱を注ぎ、1893年(明治26年)には戸倉上山田温泉が開湯しました。この開湯が後に八光グループ第二の礎となる笹屋ホテル開業へとつながります。
原点となる酒造業から400年以上続く長い歴史の中から主な出来事を振り返り、現在そして未来へと続く八光グループの歩みを辿ります。
■ 電熱器事業 ● 医療事業
1596
八光グループの歴史は約430年前の戦国時代末期にまで遡ります。川中島の戦いが終わり周辺地域に平和が訪れ、千曲川流域の平野部が安定期に入った頃、現代でいう「バイオ革命」とも呼べる動きが起こります。味噌や醤油づくりが盛んになり、その流れの中で日本酒造りも発展。八光グループのルーツである坂井銘醸の初代坂井通春が東北信濃要衝の地戸倉で酒造業を始めたのはまさにこの時代でした。
江戸時代が始まり、慶長16年には戸倉地域は北國街道・戸倉宿となります。地域の経済的機能が集まり、人口増加とともに農業生産が拡大しました。時代の変化に合わせて早い時期から酒造業のほか水車稼業や質業を営み、八光グループの礎を築いていきました。
1863
明治維新・開国
1893
信越本線開通

開国後、日本の近代化が進む中で信越本線が開通。これにより人の流れは街道交通から鉄道交通へと変化していきます。
坂井量之助は、街道の原動力に代わる新たな資源を求めて千曲川河原に湧出する温泉源を活用し、戸倉温泉会社を創業。温泉開発に情熱を注ぎ、1893年(明治26年)には戸倉上山田温泉が開湯しました。この開湯が後に八光グループ第二の礎となる笹屋ホテル開業へとつながります。
1903

信州戸倉上山田温泉の開湯から10年、八光グループ第二の礎となる宿泊観光業 笹屋ホテルを創業しました。
人々の移動が活発になり観光旅行が盛んになった時代に、街道経済基盤から温泉観光経済基盤への移行を果たし、酒造業も温泉観光経済基盤により操業を続けていきました。
1934
時代は明治から大正、昭和と進み戸倉上山田温泉も温泉観光地として発展していきました。
世界不況や戦争時代の始まりで社会環境は厳しい中、笹屋ホテルでは新たな展開として別荘の増築に着手します。
地域的な知見から全国・世界に通ずる宿泊施設の建設に向けて、世界的に有名な建築家フランク・ロイド・ライトに師事した建築家・遠藤新に設計を依頼。1934年(昭和9年)にオープンすると、後に近代観光旅館建築のモデルとなる数寄屋造の別荘は好評を得て、戦時を除いてグループ発展の力となりました。

1938
戦後復興期の経済発展に対応するため、当時の旅館業としては先進的な鉄筋コンクリート建築を取り入れて、本館、万松館、特別室を健設します。同じ年に開業した四川料理「杏苑」は長野県内では初の本格四川料理店でした。
1939
第二次世界大戦開戦
1944
八光グループは事業・地域を守るため、時代の求めるに軍需産業に参画しました。しかし、新たな事業の製造業には技術・人材も無く、大変な苦労を伴うものでした。程無くして敗戦を迎えると一旦製造業を終業することになりました。
1945
第二次世界大戦終結

戦争中の第1次製造業創業時の教訓を礎に、首都圏での被災技術者である北島幸雄氏を電熱器製造に、津田藤吉氏を活字鋳造機製造に迎えて新たな事業に着手します。
日本の経済発展に不可欠だった産業用ヒーター、経済だけでなく情報・教育・文化の復興にも重要だった印刷、そして国民の健康維持と公衆衛生の確立に大きく貢献する医療関連事業など、多角的に事業を展開して新たな製造業への進出を果たしました。
1946
1947
1948
1949
1950
1951

八光電機では電熱器の生産の傍ら、次の商品の模索を続けていました。それは、将来の医療機器事業の発展を予測した注射針の製造でした。当時の注射針は少人数の製造現場が多くありましたが、機械設備を導入し、新たな生産体制を実現。業界の注目を浴びることになりました。中でも、1950年(昭和25年)に特許を取得した「金属管の電解的内面の研磨方法」は画期的なものでした。
印刷需要の急増に合わせて始めた活字鋳造機の製造は順調に生産を伸ばし、東京へ進出。生産体制も強化して「八光の活字鋳造機」の業界トップの地位は不動のものとなりました。
1953
NHKテレビ放送開始
1955
三種の神器(白黒テレビ、電気冷蔵庫、洗濯機)が流行語に
1957

日本経済が上向き、家庭電化の時代が到来。電熱器事業も発展の時を迎えます。注射針や活字鋳造機も成長しており、工場生産も順調に拡大。社員も増加してきた頃、戸倉町に工場敷地約1万坪の敷地を取得して新たに工場を建設、全面移転します。1957年(昭和32年)の工場完成から今に至るまで、この地が八光グループの本社工場になっています。
1958
東京タワー竣工
1964
治療医学の急速な進歩と高度化、臨床検査の増加に伴い、治療技術はますます複雑化していきます。その中で、すぐに使えて且つ感染防止のために1回限りの使用で使い捨てるディスポーザブル製品が求められるようになりました。この頃から進み始めたディスポーザル化に大きく貢献したのが、金属にとって代わったプラスチック材料や完全滅菌包装当の進歩でした。八光グループでは早くからプラスチック基の注射針の製造を開始していたため時代のニーズに迅速に応えることが出来ました。
東京オリンピック1964
1965
松代群発地震 発生
1969
アポロ11号月面着陸
3C時代(新・三種の神器:カラーテレビ、クーラー、自家用車)
1970
大阪万博(日本万国博覧会(EXPO'70))
1972
札幌オリンピック
1973
1975
1981
1982
1975年(昭和50年)頃から急速に技術革新が進み、印刷工程に大変革がもたらされました。鉛活字を使用したものから写真植字機によるシステムへ移行、さらにコンピューターによる電子組版システム及びレーザープリンターによる印刷へと転換していきます。八光グループでは日本語処理システム開発会社協力のもと八光校正システムを開発・発売。時代の変化に合わせて事業のあり方を変えていきます。
1983

注射針用のステンレスパイプ加工の技術・ノウハウを活かし、医療以外の分野への市場開拓を始めます。八光グループ独自の減径加工方法の開発に成功し、内面粗度の均一化を実現。製造技術を活かし、八光のステンレスパイプは分析機器や電子機器、光学機械や精密機器でも利用されるようになっていきます。
1985
1986
1989
時代は「昭和」から「平成」へ
1990

宇宙開発用製品への挑戦は、1981年(昭和56年)に当時生産を開始したばかりの当社のカートリッジヒーター「ウルトラファイブ」にNASDAの担当者が興味を持ち来社したことから始まります。翌年、解体試験の結果当社の設計思想が宇宙用のヒーターに十分適合するという評価をうけ、1985年(昭和60年)から開発をスタート。宇宙開発用高信頼性シースヒーターの開発は寝る間も惜しんで試行錯誤が続けられ、5年の歳月を経てようやく完成。1994年(平成6年)に打ち上げられたH-Ⅱロケット2号に搭載され、初めて宇宙へと飛び立ちました。
日本の半導体産業の幕開けに需要が拡大したICモールド用の金型加熱用ヒーターとして開発し、宇宙開発用製品のきっかけにもなったウルトラファイブでしたが、この頃市場が求めていたのは金型の温度を均一にすることでした。八光グループでも、樹脂成型加工や液晶生産工程などのハイテク産業にマッチした技術の研究が始まります。加工精度はミクロン単位の時代。研究を重ね、ここからさらに時代に合わせた様々な商品開発に調整していくことになります。
患者の負担軽減を目的として開発したエタノール注入療法専用針PEITニードルは、新たながん治療に貢献することになりました。独自の先端形状で穿刺時の抵抗が少なく直進性に優れ、正確な穿刺が可能となったこの針は、腫瘍などに直接エタノールを注入するために使われています。
1991
バブル崩壊
1994

急速に広まる内視鏡下の外科手術の現場では新しい手術器具の要望が後を絶たない状況にありました。八光グループではこの分野の最先端をゆく海外製品の輸入・研究に取り組み、それと並行して社内での開発にも力を注ぎます。臓器摘出器具や止血剤注入管、吸引針に胆管造影カテーテルなど、次々と新製品を市場に送り出していきます。この時代から一気に躍進した華やかな領域ながら、その裏には地道な研究開発活動がありました。
1995
阪神淡路大震災
創業時から主軸事業として日本の情報基盤を支えてきた活字鋳造機に始まり、時代に合わせて展開してきた八光グループの印刷関連事業はここで大きな一つの転換期を迎えます。急速に進むインターネットの普及の波に乗り、印刷事業で培った技術と知識を活かしながら新たな情報関連事業へと参入します。
工場での生産活動を支えるヒーターを中心に様々なニーズに応えてきた電熱器事業は、ここで新たな産業にも広がります。安全な場所から効率よく温められる天吊りストーブは牛舎などの畜産現場から需要があり、八光グループが得意とする熱のコントロールが活かされる分野でした。天吊りストーブの開発が畜産業への参入の足掛かりとなりました。
1996
世界を一つの市場としてとらえて事業活動を展開していくため、その第一弾として上海市に事務所を構えました。この時代はまだ中国では外資の商取引が禁止されていたため、八光グループの製品PRを主として活動していました。
1997
1990年代に入りホテル業界は団体主体から個人のお客様への転換期を迎えます。笹屋ホテルでも「清涼館」を新設するなど大規模な改装を行い、長野オリンピックを前にグランドオープンしました。
1998
長野オリンピック

内視鏡下外科手術はどんどん広がり、時代は開腹手術から内視鏡下外科手術に移行していきます。八光グループのラップディスクは、腹腔鏡下手術起きうる様々なリスクを防ぎより安全な手術を行うための重要な役割を果たす製品として開発されました。
1999

柔軟性と耐久性を兼ね備えたシリコーンラバーヒーターは、医療、食品、自動車など幅広い業界からの需要があり、それに応えるべく生産工程を確立します。シリコーンラバーヒーターは、私たちが得意としているお客様や市場のニーズを正しく把握してアイデアを提示する「提案型」製品開発にマッチしており、この頃確立した生産工程を軸に数多くの種類のシリコーンラバーヒーターの開発・展開を続けています。
2003
2004
2005
愛・地球博(2005年日本国際博覧会)
2006
2007
2008
2010
2011
東日本大震災
2012

胎児治療を主な目的に開発した胎児シャントは日本で初めての胎児治療用医療機器となりました。八光グループが開発し既に別の用途で使用されていたダブルバスケットカテーテルを利用して胎児治療用に改良した製品で、胎児シャントを使用した治療は国内で有効性と安全性が認められ、2012年(平成24年)7月から保険適用治療となっています。
2014
2015
2020
新型コロナウィルス感染拡大

八光グループ本館が竣工し、運用開始となりました。各事業の拡大により不足していた会議室やコンベンショナルシステムを導入した広い食堂の他、来客用スペースや面談ルームもあり、従来のオフィス機能としては管理部門である株式会社八光興発が入りました。
2021
東京2020オリンピック
2022
2023
2024
1985年(昭和60年)の製造開始から約40年。開発・研究を続けてきた超音波下神経ブロック針の分野で二つの名誉が生まれました。ソノレクトニードル TypeCCRで利用されている超音波画像による位置検知能力を向上する穿刺針の発明で、令和5年度全国発明表彰において八光グループより発明者3名が表彰を受けました。また、令和5年度の発明賞に続き、令和6年度科学技術分野の文部科学大臣表彰において超音波用穿刺針(CCR 針)が科学技術賞を受賞しました。いずれも大変名誉な賞であり、八光グループの歴史に刻まれるものです。
2025
大阪・関西万博(2025年日本国際博覧会)
八光興発が八光、八光電機、八光エンジニアリングの全株式を取得し、八光グループのホールディングスとなりました。八光興発を軸にグループのまとまりを強化し、医療機器や電熱器などの各事業がより一層発展できるような体制の整備が進められています。
2026
2024年6月に行われたグループ創立80周年記念式典に合わせ、これまでの歴史を紹介した動画を作成いたしました。
社会のために、未来のために創造し、成長を続けてきた八光グループの歴史を映像でご紹介します。